仲の良い会社の同僚と飲んでいる時、よく本や映画の話になる。お互い好みも似ており話は弾むのだが、その中で「短い刺激の功罪」について話が及んだことがあった。
近年ではSNSでショート動画が主流になり、短くて強い刺激が氾濫している。だから、本や映画のような長くて刺激のピークがなかなか現れないものを見ることが難しくなっている。僕自身もなかなか長いものを見たり読んだりする集中力がなくなってきていて、本を読むのも時間がかかり、読みきれない時もある。という論を、ハイボール片手に展開し始めたのである。
なるほど、その通りだと思う。言われてみれば、最近本も映画も集中することができず、途中でスマートフォンをいじったりしている。代わりに、SNSでショート動画を見たりする時間が増えている気がする。それが必ずしも悪いこととは思わないが、やはり働いたり、何かを学んだり作ったりする時には一定の集中力が必要になるものである。その集中力が続かないのは疲れすぎていたり、選んだ本なり映画なりがそこまで興味の湧くものでないからだと思っていた。
そういえば、我が家には手付かずの本が増えてきている。特に本は、近所の大型書店に行っては「面白そうだ」と思い、確かに読みたい気持ちを元に購入するのだが、家に帰ってからいざ読み始めると数ページで集中が途切れ、スマホの虫となる。それを繰り返すうちに、気がつくと未読の本、所謂積読が増えてゆく。僕が買う本は特に生活に役立つものでもなければ、ましてや読まないと困る類のものではないから、それはそれで良い。良いのだが、読みたい気持ちは確かにあるから、まるで眠いのに眠れない時のような心持ちになるのだ。
だから、といっては著者に失礼な気もするが、最近では短くて集中力を要さないものを読むようにしている。具体的に言えば、詩集と写真集である。これはもう、最強ではないか。集中しなくてもそれなりに言葉の美しさを楽しむことができるし、視覚で魅力を堪能することができる。前のめりにならなくても味わうことができる二大巨頭である。というわけで、最近ではリハビリ的に手に取るようにしている。